2010年12月09日 シンガポール・レポートVol.9
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第9回は、シンガポールの民事裁判の手続(前篇)をご紹介いたします。
■ 総論
シンガポールと日本の民事裁判の違いは,(1)文書開示制度(ディスカバリー)の有無,そして(2)訴訟スケジュールの柔軟性の違いだと思われます。
すなわち,(1)シンガポールではアメリカ的な文書開示制度(当事者が審理前に手持ち文書を相手方に開示する制度)がありますが,日本にはありません。
また,(2)シンガポールの裁判日程は固定的で,日本の方が柔軟です。シンガポールの民事裁判は大まかに言うと①弁論手続(Pleadings)終了後,②文書開示・閲覧を行い,③審理・尋問手続(Trial)に入りますが,この日程は訴訟当初にあらかじめ決定され(多くは訴訟開始より1年以内に終了予定),日本より固定的です。
これに対して日本では,争点が絞られるまで(長い場合は数年間)当事者が主張の応酬を続け,争点が絞られるのを待ってはじめて尋問手続に入りますので,当初から尋問手続の日程が決定されるということはありません。
コモンローの国では弾劾主義・当事者主義(adversarial system/当事者の意見を尊重するシステム)を採り,シビルローの国では糾問主義(inquisitorial system/裁判所が主導権を握るシステム)を採ると言われることがありますが,上記(2)のような裁判日程の柔軟性の違いを考えると,シビルローの日本の方が,コモンローのシンガポールよりも,当事者の意見を吸い上げた裁判手続を行っているようにも思えます。
■ 手続概要
シンガポールの裁判手続は,大きく分けて以下の6つに分類されます。
(1)訴訟の開始
(2)弁論手続(Pleadings)
(3)文書開示手続(Discovery)
(4)審理(Trial)
(5)判決
(6)執行
日本と異なるのは,(3)の文書開示手続があることです。
■ 訴訟の開始
シンガポールにおける民事訴訟の開始には,以下2通りあります。
1 召喚状(Writ of Summons)
2 手続開始申立書(Originating Summons)
1 召喚状
召喚状は,争いのある係争に関して用いられ,通常の民事裁判ではこちらが用いられます。この召喚状の送達は,原則として,ハリウッド映画でよく見かけるような,被告への手渡しで行われます(具体的には,原告を代理する法律事務所の職員が,被告宅へ赴いて,直接被告に召喚状を手渡しする)。ただ,人前で直接被告に召喚状が手渡しされることは屈辱的なものとなり得るため,被告代理人事務所に対する送達も選択できます。
この召喚状には,通常,請求の趣旨・原因(Statement of Claim)が添付され,そこでは原告の主張する請求や事実が提示されます(日本の訴状と同様です)。なお,シンガポール裁判所に対する文書の提出は2000年以降,電子文書提出サービス(Electronic Filing Service)を通じて行われており,日本の裁判所のようにハードコピーを提出する必要はありません。
2 手続開始申立書
手続開始申立書は,遺言の検認のような法定の形式的な手続やその他の争いのない手続に用いられます。
■ 弁論手続(Pleadings)
1 出頭状
召喚状の送達後,被告は8日以内に出頭状(Memorandum of Appearance)を提出します。これは,被告の応訴の意思表示を表す書面です。出頭状が提出されなかった場合,原告は日本と同様に欠席判決(原告の主張どおりの判決)を得ることができます。
2 答弁書
出頭状の提出後,被告は14日以内に答弁書(Defence。シンガポールではイギリス英語が通用しているので,アメリカのように「Defense」とは綴りません),および,(もしある場合は)反訴状(Counterclaim)を提出します。答弁書には,原告の主張に対する認否その他の追加主張事実を記載します。原告の主張内容に沿って細かく認否を行う点は,日本の答弁書と同様です。
3 反論書
答弁書の提出後,原告は14日以内に反論書(Reply)を提出します。反論書では,答弁書における被告の反論に対する再反論が行われ,これは日本の「原告第一準備書面」に相当します。
日本では争点が整理されるまで1年でも2年でも主張(準備書面)の応酬を続けますが,日本とは異なり,シンガポールでは,主張の応酬はこの<請求の趣旨・原因(Statement of Claim)-答弁書(Defence)-反論書(Reply)>(これらを総称して訴答書面(Pleadings)といいます)で基本的に終了します。
反論書の提出後14日の経過により弁論手続は終了します。
<弁論手続(Pleadings)概要>
|
原告 |
被告 |
備考 |
1 |
召喚状(Writ of Summons) |
|
日本の訴状に相当 |
2 |
|
出頭状(Memorandum of Appearance) |
召喚状受領から |
3 |
|
答弁書(Defence) |
出頭状提出日から14日以内に提出 |
4 |
反論書(Reply) |
|
答弁書受領から |
■ 審理(Trial)前の訴訟の終了
日本と同様,上述の欠席判決の他に,原告が請求の放棄する場合や,被告が請求を認諾する場合がありますが,それ以外にも以下のような場合に訴訟が終了します。
1 略式判決(Summary Judgment)
被告提出の答弁書に反論が記載されていない場合,原告は上記弁論手続終了後28日以内に略式判決を申し立てることができます。これは,無駄な手続を省くためのもので,原告の主張する債権に対して被告が抗弁を有しない場合などに用いられます。日本の中間判決に相当するものといえます。
2 却下判決(Striking Out)
原告の請求にそもそも理由がない等の場合,その請求は却下されます。日本の却下判決は訴訟の要件を満たさない場合に下される形式的なものですが,シンガポールでは却下する場合についてもう少し広く裁判所の裁量が認められています。
■ 文書開示手続(Discovery)
弁論手続の後,文書の開示手続(Discovery)が行われます。当事者は,自ら保持している文書のうち,その訴訟に関連する全文書のリストを相手方当事者と交換します。これは,証拠を「後出し」して相手方にサプライズを与えず,透明性を確保しようという考えに基づいています。
相手方からの文書リストを受領後,リストに記載された文書の中から,入手したい文書の写しを相手方に請求できます。これが閲覧手続(Inspection)です。
■ PTC・SFDによる訴訟促進やADR推進
審理前協議(Pre-Trial Conferences)や訴訟指揮手続 (Summons For Directions)によって,手続の促進や日程調整が図られます。また,これらの手続において,訴訟を本格的な審理(高額な弁護士費用がかかる)を経て解決するのではなく,訴訟以外の調停や仲裁のような紛争解決方法(ADR/Alternative Dispute Resolution)により解決することを促します。日本よりADRの認知度が高く,種類も多いので当事者に利用しやすくなっています。
具体的には,シンガポールの調停は,シンガポール調停センター(Singapore Mediation Centre)における調停と,下級裁判所が関与する調停センター(Primary Dispute Resolution Centre)における調停の2種に分かれていますが,後者の調停では,調停員(Mediator)を裁判官が務めるという点で日本と異なります(日本の調停は,裁判官1名と調停委員2名から成る調停委員会により調停が行われますが,実際に調停期日において調停を行うのは,多くは裁判官ではない2名の調停委員です)。
日本でも,裁判官が訴訟係属中に当事者に和解を勧告することがありますが,シンガポールでは,訴訟とは別の調停という手続に移行した上での紛争解決を想定しているといえます。
以上,シンガポールの民事裁判手続の前篇をお送りしました。次回は後篇として,審理手続(Trial)以降の手続をご説明いたします。
2010年11月12日 シンガポール・レポートVol.8
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第8回は、シンガポールの弁護士や裁判所についてご紹介いたします。
■ 弁護士
シンガポールの弁護士は「Advocate and Solicitor」 と言われ,イギリスのようにAdvocate(法廷弁護士)とSolicitor(事務弁護士)に区別されているわけではありません。
シンガポールの全弁護士は4,000人弱で,うち女性は約40%。シンガポールの人口は約500万人ですから,弁護士1人あたりの人口は約1,250人ということになります。なお,日本は,弁護士1人あたりの人口は4,000人強ですが,税理士・司法書士等の隣接士業(諸外国では弁護士が扱う業務を行う。それもあって,日本の司法書士は英語表記で「Shiho-Shoshi Lawyer」と名乗っている)を広義の「弁護士」に含めた場合,「弁護士」1人あたりの人口は800人弱となり,国際的に見ても少ないとは言えません。
シンガポールの法律事務所数は約800。Drew & Napier, Rajah & Tann, Allen & Gledhill, Wong Partnershipが4大事務所と言われており,それぞれ250人程度の弁護士を擁しています。
日本の弁護士はいつまで経っても一介の「弁護士」ですが,シンガポールでは経験と能力のある弁護士はシニア・カウンセル(上級弁護士)という特別な肩書を与えられます。シニア・カウンセルは毎年数人しか任命されず,現在はシンガポールに60人ほどしかいません。シニア・カウンセルは,名前の後に必ずSCを付けて呼ばれます。男爵や伯爵といった称号のような扱いです。
日本の事務所に所属する日本人弁護士は,従来は1,2名にすぎませんでしたが,現在(2010年11月現在)は日系企業が東南アジアに注目している時代の流れに沿って,6名に増えました。これからどんどん増えてくると予想されます。なお,外国の法曹資格を持つ日本人も2名ほどいます。
現地の法律事務所で勤務して感じるのは,法律の本が少ないことです。シンガポールの歴史が浅いせいもあるでしょうが,コモン・ロー(判例法)の国なので,学者が学説を解説した本が日本より圧倒的に少ないせいもあるでしょう。事務所の図書館に置いてある本はイギリス法に関する本が大半を占め,判例を研究した本ばかりです。
なお,シンガポールの司法試験を受けるには,アメリカと異なり,原則としてシンガポールの4年制大学(法学部)を出なければなりません。ただ,日本の大卒の資格があれば(日本の弁護士を含む),3年間の短縮コースがあります。なお,コモンローの国から来る有資格者等には,特別の措置(さらなる短縮コース)があります。アメリカのように,LLM(いわゆるロースクール大学院)を出ても,シンガポール司法試験の受験資格が得られるわけではありません。
■ 裁判制度
シンガポールの裁判所は,大きく分けて,最高裁判所(Supreme Court)と下級裁判所(Subordinate Courts)から構成されます。
1 最高裁判所(Supreme Court)
最高裁判所は,以下の4つの裁判所に分類されます。
(1) 上訴院(Court of Appeal)
上訴審(最終審)裁判所。1994年までは,旧宗主国であるイギリスへ上訴できましたが,今はできません。
(2) 高等法院(High Court)
高等法院は,①下級裁判所からの上訴審裁判所であるとともに,②重大事件(訴額25万ドル超の高額民事事件や禁錮10年以上の重大犯罪)の第一審裁判所でもあります。
(3) 海事法廷(Admiralty Court)
(4) 知財法廷(Intellectual Property Court)
これら(3)(4)は,2002年に新設された,専門事件を扱う部門です。
2 下級裁判所(Subordinate Courts)
下級裁判所には,地区法廷(District Court/大多数の事件を扱う)と,治安判事法廷(Magistrates’ Court/地区法廷より規模の小さい事件を扱う)があり,それぞれ民事および刑事事件を扱います。
また,上記以外に,少額事件法廷(Small Claims Tribunal),少年事件法廷(Juvenile Court),家事法廷(Family Court),検死官法廷(Coroner’s Court)等の専門裁判所があり,日本よりも専門裁判所が多岐に富んでいるという特徴があります。
シンガポールの裁判所の構成を図にすると以下のようになります。なお,この通常裁判所とは別に,イスラム教徒の離婚等を扱う特別裁判所(Shariah Court)がありますが,この裁判所から通常裁判所への上訴はできません。

■ 民事裁判
民事裁判の第一審裁判所は,請求額(訴額)の多寡により決定されます。具体的には,高等法院(High Court)は25万ドルを超える請求,地区法廷(District Court)は6万ドルを超え25万ドル以下の請求,治安判事法廷(Magistrates’ Court)は6万ドル以下の請求,そして少額事件法廷(Small Claims Tribunal)は原則として1万ドルの請求につき処理します。ただし,少額事件法廷で扱える事件は,物品売買等に関する簡易な事件に限られており,ここでは弁護士による代理は許されません。
民事訴訟の第一審管轄裁判所を表にすると,以下のようになります。
<民事訴訟の第一審管轄裁判所>
裁判所 |
訴額 |
備考 |
高等法院 |
25万ドル~ |
最高裁判所 |
地区法廷 |
6万ドル~25万ドル |
下級裁判所 |
治安判事法廷 |
6万ドルまで |
下級裁判所 |
少額事件法廷 |
1万ドル(両当事者の合意があれば2万ドル)まで |
下級裁判所 |
以上が第8回です。次回は,シンガポールの民事裁判手続についてご紹介する予定です。
2010年10月15日 シンガポール・レポートVol.7
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第7回は,シンガポール法の概略についてご紹介いたします。
■ シンガポール法の特徴 -コモンロー-
世界の法制度は大きく英米法系の「コモンロー(Common Law,判例法)」と大陸法系の「シビルロー(Civil Law,制定法)」に分かれていますが,シンガポールは旧英国植民地であるため,コモンローの国です。コモンローはシビルローに比べ,(1)制定法が少なく,(2)判例の拘束力を重視するという特徴があります。コモンローの国は,アメリカや英連邦(Commonwealth)の一部の国で,合わせて10数か国しかありません。
なお,明治維新の際に独仏の法制度を参考にした日本はシビルローの国ですから,ご存知のように制定法がたくさんあり,判例の拘束力はコモンローほど強くありません。
(1) 制定法
制定法に関するコモンローとシビルローの具体的な違いとしては,たとえば民法が挙げられます。日本では「民法」という制定法がありますが,シンガポール(やイギリス)にはありません。契約の成立や意思表示の解釈などは,判例の集積によって規律されます。
例を挙げますと,日本においては,詐欺により騙された者と,詐欺者から権利を取得した第三者のいずれを保護するかは,民法96条3項に従って判断されます(第三者が善意であれば,騙された人より優先的に保護される)。一方,シンガポールではそのような明文規定がないため,判例に従って,各事例ごとに判断されます。
また,シンガポールは歴史の浅く,規模の小さい国である(=学者の数が少ない)ためもあり,日本ではその存在を当然視していた「注釈書」(法令の各条文の意義や適用例を説明したもの)が少ないです。私は「まず最初に注釈書を調べる」という日本でのやり方に慣れていたため,こちらでは戸惑うことがあります。
注釈書の代わりに,シンガポールでは,イギリス法に関する文献,ときにはマレーシア法やオーストラリア法を参考にすることもあります。
(2) 判例の拘束力
コモンローにおいてはシビルローよりも判例の拘束力を重視し,その法理論はStare Decisisと言われます。裁判官が書く判決理由(Ratio Decidendi)が後世の類似事例の参考になるため,コモンローにおいてはシビルローよりも一般的に判決は長くなります。
コモンローの裁判官が書く法理論・論理展開は,シビルローよりも多く学者・実務家の研究の対象になります。これは,シビルローでは法令の解釈によって演繹的に事例を解決する一方で,コモンローでは具体的事例から帰納的に一般則を導き出すという違いがあるためです。判例研究においては各事例の具体的事実(Fact)が重要であると法学部では口を酸っぱくして教わります。
裁判官は,単なる法の適用にとどまらず,法の創造をも担うものとされているため,シビルローよりもその役割は大きいといえます。コモンローにおける裁判官の法的役割の大きさを象徴する存在として,最近100歳で亡くなったLord Denningというイギリスの判事がいます。
彼は,判例の拘束力を柔軟に解釈して弱者を救済するような判決を多く書き,「The people's judge」と渾名されました。コモンローにおけるスーパースターであり,日本でいうと大岡越前,法曹界における長嶋茂雄のような人でしょうか。法律英語は一般に長くて難しい表現を使うものとされていましたが,Denningの書いた判決は簡潔で非常に分かりやすいという特徴もあります。
(3) 実際は…
大まかに言うと,コモンローとシビルローには以上のような違いはありますが,実務ではさほど大きな違いは感じません。なぜなら,シンガポールでは,憲法,刑法,会社法,訴訟法,競争法その他,成文化されている法律も多いからです。また,コモンローといっても法律より判例が優先するわけではなく,「まず法律の規定に従い,該当する法律がないときにはじめて判例に従う」という点では,シビルローと変わらないからです。
なお,ここでは「コモンロー」という言葉を「シビルローの対概念」(広義)として使用しましたが,「equity(衡平法)の対概念」(狭義)としてのコモンローという意味もあります。このequityとは,コモンローを形式的にあてはめると適切な措置が採れない場合に,特別な裁判所で与えられた個別的な救済のことをいいます。具体例として差止命令などがあります。イギリスでは,日本の明治維新のころまでは,狭義のコモンロー(例:損害賠償請求)とequity(例:差止請求)は,別の裁判所で判断されていました。
■ 英国法の影響
1994年までは,シンガポールでもイギリスのPrivy Councilに上訴できました。植民地を経ていない日本では想像できませんが,旧宗主国に上訴できたというのは,英連邦(Commowealth)ならではという感じがします。
また,「英国法の適用に関する法律」に従い,1993年以前の英国コモンローは,基本的にシンガポールでも通用します。そのため,実務で参考にする判例は,イギリスの判例が多いです。
■ ムスリム専用法廷
家族法の分野で,Syariah Courtと呼ばれるイスラム教徒(人口の15%)の専用法廷があります。一夫多妻を認めるなど(妻は4人まで),イスラム教徒には別の規範があてはまるからです。
■ 参考サイト
シンガポールの法律に関する情報については,以下の各サイトでご覧になることができます。
* シンガポール法の検索サイト:
http://statutes.agc.gov.sg/non_version/html/homepage.html
* シンガポールの法制度概要(ASEAN
Law Associationのサイト):
http://www.aseanlawassociation.org/legal-sing.html
* シンガポール商事法の概要:
http://www.singaporelaw.sg/content/LegalTopics.html#Overview
* シンガポール最高裁判所:http://app.supremecourt.gov.sg/default.aspx?pgID=1
* シンガポール下級裁判所: http://app.subcourts.gov.sg/subcourts/index.aspx.
* シンガポール法曹協会:http://www.sal.org.sg/default.aspx
* シンガポール弁護士会:http://www.lawsociety.org.sg/
* シンガポール国際仲裁センター:http://www.siac.org.sg/cms/
2010年09月29日 シンガポール・レポートVol.6
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポールレポート第6回は,シンガポール国立大学ロースクールのご紹介をいたします。
■ ロースクール(LLM,法学修士コース)
LLM(法学部大学院)の学生は,総勢150名ほど。世界中の約35カ国からの学生が集まります。アジア諸国は言うまでもなく,イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・中国・インドの他,南米や北欧からも集まります。最も多いのは,やはり中国とインドです。それぞれ20名以上はいます。日本人は,多くはアメリカに留学に行くためか,私の他には,金融庁の方が1人だけでした。
LLMは6つほどのコースに分かれ,会社法,海事法,知財法,金融法などに特化したコースを選択できます。必修科目と選択科目があり,各コースではそれぞれ必修科目がその分野に特化したものになります。一年の大半を上海で過ごすプログラム(International Business Law)や,一年でニューヨーク大学ロースクール(NYU)の単位を一緒に獲得するプログラムもあります(このダブルプログラムは,学費も入学要件もNYUの基準に従っています)。私はAsian Legal Studiesというアジア法のコースを選択しました。
授業は,前・後期の2期制で,各期にそれぞれ5単位(5科目)ずつ履修します。ここシンガポールは,シビルロー(制定法)の日本とは違い,コモンロー(判例法)の国ですので,前期にはコモンローの考え方を学ぶ授業が多いです。コモンローとは,判例を重視する英米法的な考え方のことです。
一学期に5科目ですから,1週間にほぼ5科目の授業があることになります。一日平均1コマですね。一科目の授業は15分の休憩をはさんで3時間。グループを組んでプレゼンをすることも多いです。多くの教授はパワーポイントを使います。
教材は紙で配られることもありますが,すべて各生徒にデータ送信されるので,学生は各自でプリントアウトすることもできます。科目の選択その他諸手続はすべてオンラインで行われ,時代の変遷と,シンガポールがIT先進国であることを如実に感じます。日本の今のロースクールがどうなっているのか知りませんが,私の大学生時代はちょうどインターネットが勃興する直前で,学生はまだ立てかけられた掲示板を見るという旧時代的な慣行でした。それに比べると隔世の感があります。
図書館等に学生が利用できるコンピュータは設置されていますが,上記のように諸手続や教材の配布がすべてインターネットで行われるため,学生の多くはノートパソコンを持ち歩いています。特に英語圏で育ったシンガポーリアンでタイピングが得意な学生は,教授の言うことの一言一句までパソコンでタイプできる人もいます。これはひらがなから漢字への変換を経ないと適切に入力できない日本語との大きな違いです。
LLMの学生の平均年齢は20代後半でしょうか。40代の学生もいれば,大学を出たばかりの学生もいます。弁護士資格を持っている学生とそうでない学生は半分ずつくらいか,有資格者がやや多いかという感じです。
教室はいずれも30人程度しか収容できない小教室。小さい授業では10人以下のクラスもあります。人数が少ない方が緊張感があり,予習の集中力も上がります。少人数の授業では,活発なディスカッションが行われることも多いです。
翻って考えると,私が卒業した日本の大学は大教室での講義ばかりでした。大教室だと,自ずから教授による情報の伝達という一方通行に終わってしまい,活発な相互の意見交換ができません。私は旧司法試験を通ったので日本のロースクールがどのような授業を行っているのかは知りませんが,大学教育ないし法学教育のあり方を考えさせられました。
日本人の拙い英語力だと,週に授業は5コマしかないとしても,予習と復習で手一杯になるというのが実際のところです。特に前期はコモンローの授業で100年も前の判例研究などを行い,古い英語を理解するのに苦しみました。
隣接されている図書館は,さほど大きくありませんが,快適な環境です。しかし寒すぎます。室温が20℃くらいに設定されているため,長ズボンにセーターを着ても,数時間もいると体が冷え切ってしまいます。それで風邪を引く学生もたくさんいます。赤道直下のシンガポールで,セーターを着て寒がっているというのはいかにも漫画的ですが。シンガポールも国として環境保護を謳っているようですが,それならば日本のように室温を上げるという運動もしてもらいたいものです。なお,図書館以外にもスタディルームという勉強部屋があり,そこは24時間空いています。
■ 課外活動
課外活動としては,男子学生の間でサッカーが人気です。法学部の1年生~4年生,リークアンユー公共政策大学院の学生,そしてLLMの学生でそれぞれチームを作り,NUSブキティマキャンパス内の合計8チームほどで対抗戦を行います。我がLLMチームは,ペルー人,メキシコ人,ドイツ人,アメリカ人,インド人,中国人,日本人,マレーシア人,シンガポール人,カンボジア人,スイス人,フィンランド人,そしてアイルランド人で構成される多国籍チームでした。
私はストライカーとして活躍し,チームの全得点の半分ほどを挙げました。年齢も国籍も境遇も離れている友人たちと一緒にスポーツをして勝利を目指すことは,かけがえのない思い出となりました。この仲間たちとは,これからもずっと友人関係を築いていきたいと思っています。
また,東アジアの中心に位置するという地理的利便性から,週末にはアジア各国へ旅行に出かける学生も多いです。入学の際のオリエンテーションでも,副学長が「勉強はほどほどにしてアジアを旅しなさい」と言っていました。週末はどうするの?という学生の会話では,アジア・オセアニアに旅行するという話題(どこが良くて,どの便が安くて…など)が大半を占めるほどでした。
以上がシンガポール国立大学ロースクールの紹介です。次回からは,シンガポール法についてご紹介する予定です。
2010年09月03日 シンガポール・レポートVol.5
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第5回は,シンガポール国立大学における留学事情をお届けします。
■大学・キャンパス紹介
シンガポール国立大学(National University of Singapore,以下「NUS」)は,シンガポールに3つしかない大学の一つで,唯一の総合大学。世界の大学ランキングでは,東大などと並んで常にアジアの最上位に位置します。前身の医学校は1905年創立ですが,合併を経たりして今の形になったのは1980年です。比較的新しいですが,国自体が新しいので特に新しさは感じません。
キャンパスは2つあり,法学部(と公共政策大学院)だけは他学部と離れたブキティマ地区にあります。ブキティマは「錫の丘」という意味で,シンガポールの中心に位置し,高級住宅街の一つとして知られています。中国系ハリウッドスターのジェット・リー(リー・リンチェイ)もここに住んでいるそうです。
法学部のあるNUSブキティマキャンパスは,ボタニックガーデン(シンガポール最大の植物園)に隣接し,緑あふれる閑静な雰囲気に囲まれています。ショッピング街であるオーチャード通りからは自転車で10分ほどですが,緑に囲まれているため,都会の喧騒から離れて勉強に集中できます。ただ難点は,近くに学食以外のレストランがあまりないことです。すぐ近くにインド料理屋があるほかは,マクドナルドやホーカーまで徒歩で10分ほどかかります。
キャンパスの建物は100年ほど昔からある古い建造物で,国の重要な歴史的建築物の一つに指定されています。日本の占領時代には日本軍の司令本部として使用されていたそうです。ただ,よく修理されているため,まったく古さは感じません。白い壁にオレンジの屋根。シンガポールでよく見かけるコロニアル調の色合いです。芝生の生えた中庭が2つあり,そこでは学生がよくサッカーやアルティメットに興じています。
なお,ブキティマキャンパスにはリークアンユー・スクールという公共政策大学院もあり,ここには日本人学生が10人弱います。公共政策大学院と法学部大学院で授業が重なることは原則的にありませんが,廊下ですれ違ったりした際には日本人同士で気軽に会話できます。
法学部以外のNUSキャンパスはケントリッジという場所にあり,これはとてつもなく広いです。日本で大きな大学といえば筑波大学が有名ですが,それと同じくらいの規模がありそうです。キャンパスの規模を見るにつけ,教育熱心なシンガポールにおける大学の位置づけの高さを感じます。シンガポールは,人口密度が世界3位でありながら,国民の85%が公団のようなビル群(HDB)に住んでいる(詰め込まれている?)ので,利用可能な土地は比較的広いです。
NUSブキティマキャンパスの食堂は,中国系,マレー系,インド系の料理が並びます。値段は3~4シンガポールドル,日本円で200円から300円です。味は…お世辞にもあまり美味しいとは言えません。たまに日本の牛丼や味噌汁を出すことがあります。学生は味噌汁をスプーンですすっています。「器に口を付けて飲む」のは,日本以外の国ではマナー違反とされることが多いためでしょう。
ブキティマキャンパスには,スイミングプールのほか,広い運動場(トラック)も併設されており,ジムとシャワーも完備されており,いずれも無料で利用できます。また,隣接する植物園を散策することもできるので,気分転換の運動をするには事欠かない環境です。最寄り駅のニュートン駅からはバスで5~10分ほどですが,現在工事中の地下鉄が完成すると,最寄り駅から徒歩数分となるため,交通アクセスは向上します。
■キャンパスでの英語
この国ではアメリカ米語ではなくイギリス英語を使うので,食堂はcafeteriaと言わずにcanteenと言います。日付表示も「15th July,2010」のように日にちが月より先に来ますし,centreのスペルもcenterではありません。なお,アメリカ人に訊いたらアメリカではcanteenとは軍人が携帯する水筒のことを指すそうです。
スペルだけではなく,それぞれの訛りを持つ多様な英語が飛び交っています。英語は一つではないことを改めて知り,「日本人は日本語訛りの英語を喋ればいい」と開き直ることができます。和製英語にもいつか市民権が与えられるときが来るかもしれません。
英語について言えば,LLM(Master of Lawsのラテン語。法学部大学院)の学生はトフル92点を満たして入学しているはずなのですが,会話はできるけれども文法は滅茶苦茶だったり(Did you went ~?など),日本であれば中学生でも知っている簡単な英単語を知らなかったりする学生がいたりします(灰皿ash tray,井戸wellなど)。また,シンガポール人でも,英語を母語として学んでいない中国系の人の中には,He don't~ などと話す人が結構います。もっとも,日本人の英語力(特にリスニングとスピーキング能力)は一般的に低いと言えます。
以上がNUSにおける学生生活の簡単なご紹介です。次回は,ロースクールにおける授業風景などをお届けいたします。
2010年08月18日 シンガポール・レポートVol.4
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第4回をお届けします。
■軍事
徴兵制です。男性は高校を出たらすぐ,2年間の兵役に就きます。その後大学に進学する男性は,兵役に行かない女性よりも,同学年でも年齢が2つ上ということになります。ガリ勉とゲームばかりで草食系のもやしのような高校生が,軍隊で身体と精神を鍛え,見違えるように立派になるようです。高校時代に男女が交際していても,兵役の2年間でやむなく別れ,男性は兵役を終えた後に新たに2歳下の女性を見つける,というのがよくあるパターンだそうです。
2年間の兵役を終え,仕事に就いた後に男性が訓練に行く場合も,いわゆる「有給」とされ,仕事を休んだ分の給料は支給されることになっています。マレーシアやインドネシアというイスラム教国に囲まれているという地理的環境もあり,軍事的危機意識は高いです。そのせいもあり,イスラム系のシンガポール人は軍隊の中でも大きな武器を扱うような重要な地位に就けず,運転手などの仕事しかできないと聞いたことがあります。
■教育
資源のない国ですから,人材だけが資源。そのため教育熱心です。大学に入るためには,小学生の半ばころから良い成績を取らないといけません。成績が悪いと篩に掛けられ,高等教育を受けるコースになかなか進めないそうです。そのせいか,メガネを掛けている中高生が多いです。
民族の特徴を言うと,基本的に中国系は勤勉で上昇志向が強いけれども,マレー系は勤勉ではない,という大まかな特徴があるようです。これは中国系とマレー系民族が拮抗する隣国マレーシアにおいても同様で,「(マレーシアのように)天然資源に恵まれていると,国民は怠惰になる」と感じている人が多いです。日本の天然資源が豊富だったら,日本は果たして勤勉な民族として世界に誇ることはできたでしょうか?
シンガポールの語学学校には,韓国人が多いです。これからの世界は英語と中国語の重要性が高まる時代。英語と中国語の両方をしっかり学べるのは(香港と)シンガポールだけであることに着目して,多くの韓国人が語学留学に来ているのです。父親が韓国で働き,シンガポールにいる子どもに仕送りして英語と中国語を学ばせる,というように。このように,韓国人の外国語習得にかける情熱は,日本人より数倍高いようです。サムスン電子では,TOEIC920点以上取らないと課長になれないらしいです。
■スポーツ
バスケ,サッカー,水泳の他に,若者にはアルティメット(フリスビーとラグビーを組み合わせたもの)が人気です。イギリスの影響で,クリケットやラグビーも人気です。(毎日のようにスコールが降るため)空気が綺麗なので,ランニングしている人をたくさん見かけます。上半身裸で走っている人も多いです。
日本人駐在員の間ではゴルフとソフトボールが人気です。東京23区ほどの狭さの国に20ほどのゴルフコースがあり,どこのゴルフ場にも30分以内で行けるという利便さから,「シンガポールに駐在してゴルフをしない人はいない」と言われるほどです。国境を越えてマレーシアのジョホールバル,インドネシアのバタム島やビンタン島まで行くこともあります。
5月に行われたIPBA(環太平洋法曹協会)の国際会議で大統領官邸に招かれ,その際に面白いことを発見しました。国の中心部(オーチャード通り沿い)にある大統領官邸の中にも,(大統領専用の)ゴルフコースがあるのです。これは大統領官邸がイギリスの総督府として使用されていた時代に作られたものだそうですが,シンガポールにおけるゴルフの位置づけの高さを象徴しているようでした。
先日のHSBC選手権で宮里藍選手が来星して優勝したときは,「20分で行ける距離に日本のプロの選手が来る」ならば見に行こうと思い,私も応援に行きました。藍ちゃんはすごく小柄でした。こうして,「国中のどこへでも気軽に行ける」というのは小国シンガポールの特徴の一つです。
■チャンギ空港
シンガポールは日本から約6時間。チャンギ空港は,世界でも常にトップにランクされるサービスの良い空港です。飛行機の到着から(イミグレ手続を経て)自宅まで,1時間以内で着くこともあります。シンガポールからアジア各国へはいずれも数時間で行くことができます。例えば,隣国マレーシアの首都クアラルンプルまでの距離は東京・名古屋間(飛行機で30分),ジャカルタまでの距離は飛行機で1時間半なので東京・北九州間くらいでしょうか。日本では「海外旅行」というとややハードルが高いですが,シンガポールでは,海外旅行自体に対するハードルは高くありません。
以上,シンガポールについて大雑把な紹介をしました。こうして書くとシンガポールはいかにもすばらしい国のように思えるかもしれません。ただ,スコールに遭った時は悲惨です。傘を差しても,プールに飛び込んだかのようにずぶ濡れになります。そんな時はこの国を呪いたくなります。
私は夏が好きなので平気ですが,年中続く蒸し暑さも,多くの日本人(特に,日焼けを気にする女性)には辛いようです。拙宅のバルコニーには観葉植物が置いてあるのですが,刺すような日差しと蒸し暑さを嫌う妻が水を遣ろうとしないため,水を遣るのは私の役目とさせられています。
次回からは,シンガポール国立大学法学部の留学記をお届けしたいと思います。
2010年07月30日 シンガポール・レポートVol.3
【コラム】
常夏のシンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第三弾をお届けいたします。
■シングリッシュ
シンガポールを語るときに避けては通れない,シンガポール訛りの英語です。正確には,広東語の影響を受けた英語でしょうか。早口で,語尾をほとんど発音しないという特徴があります。たとえば,「Car Park」は「カッパ」と聞こえます。語尾に「La」を付けるのも有名ですね。たとえば,「OK, la.」 また,文法を簡単にして,「Can?」(大丈夫ですか/これでよろしいですか?) 「Can, Can.」(大丈夫です。)などという会話は日常的に使います。イントネーションは「英語の青森弁バージョン」のようです。もっとも,シングリッシュは,中国語を母語とするシンガポール人に顕著なのであって,家庭でも英語で育ったシンガポール人の英語には,それほどきつい訛りはありません。
なお,シングリッシュには,その他に「Waliao eh(ワリャオエー)!」などの,広東語に由来する,英語にはない言葉もあります。これはOh my God! とかWhy like this? の意味で,日本語で言う「マジ!?」に近いニュアンスです。
■赤道直下なのに「寒い」?
It's freezing(凍えそうだよ). シンガポールにいるとよく使う言葉です。赤道直下にあり,気温が一年中30度を下回ることをないような国なのに,なぜ? とお思いでしょうが,これは室内の冷房が強く効きすぎているためです。21℃くらいに気温が設定されていることが多く,聞けば,「人間の頭脳は,21℃くらいが最もよく働く」というリー・クアンユーの理論に基づくとか。ネクタイを利用する人は金融関係に従事する人を除いてほとんどおらず,ジャケットを着ている人はまず見かけませんが(いわゆる「クールビズ」です),冷房対策のため,私はデスクワークが続くときはいつもセーターを着ています。
なお,文字通り常夏のため「季節」という概念はなく,秋や冬という言葉は通用しません。ただ,冗談で,「シンガポールにも3つの季節がある。それは,①hot, ②hotter,そして③hottestだ」なんて言ったりします。
■シンガポール人
多様な民族がいるので簡単に総括はできませんが,総じていい人たちです。特に西洋化された上流階級で育った人は,見知らぬ人に対しても日常的に笑顔を交わして(しかも口角を上げた笑顔を作り)気軽に会話をします。これは,容易に他人と打ち解けない日本人(東京人?イギリス人やドイツ人にもそういう慎み深い人が多いですが)として,学ぶべきところがあるような気がします。最近,「How are you?」という挨拶は,実は,気が利いて,かつ,短い返答を要求する高度な挨拶なのではないかと思ったりしています。
共働きが多いためか,出生率は日本より低いです。生活に余裕がある多くの国民は,インドネシア等から来た家政婦を雇っています。住み込みの家政婦を月に数万円という安さで雇うことができます。
■シンガポール人の生活
85%の国民は,日本で言う公団のような10階建てくらいのビル(HDB)に住んで(住まわされて?)います。そのため,日本のように「ウサギ小屋」が密集するという光景は見られません。それどころか,緑の整備された美しい公園を多く見かけます。Garden Cityと謳い,国土を綺麗にして外国人を惹きつけようという国策に基づくものです。電線も地中に埋められており,醜い電線や電信柱を見かけません。
シンガポール人の階層を大きく3つに分けると,ごく一握りの裕福な人が一軒家に住み,その次の階層がコンドミニアム(マンション)に,残りの大多数がHDB(公団)に住む,ということになるようです。
■文化
建国45年の新興国なので,果たして「シンガポール文化」といえるものがあるのかどうか。中国系は中国系,マレー系はマレー系,というように,それぞれの文化があるようです。国民の休日も,それぞれの民族の休日があります。
新年(2月の旧正月)の挨拶は,「謹賀新年」ではなく,「恭喜発財」。今年もお金が貯まりますように,という意味です。大阪商人風の挨拶「もうかりまっか」に似ていますね。
異国の生活をして初めて気がついたことですが,どんな大邸宅にも「玄関」がなく,脱いだ靴を無造作に散らかしています。日本では当然だと思っていた「脱いだ靴を玄関に綺麗に揃える」ということが,異国では当然ではないことを知りました。これは誇るべき日本の文化なのでしょうか?
■観光
ビーチもほとんどなく,広大な自然があるわけでもないので,正直あまり観るべきものはありません。動物園(ナイトサファリ),植物園,観覧車(世界最大)くらいでしょうか。マーライオンは,私はまだ観に行っていません。今年に入り,セントーサ島にはユニバーサルスタジオができ,カジノがオープンしました。買い物好きの人には,目抜き通りのオーチャード通りのショッピング街は人気があります。もっとも,私は極めて商業的で物質主義の権化のようなこの国の繁華街は,あまり好きになれません。
国の中心部にそびえる摩天楼のUOBプラザとOUBセンターは,いずれも丹下健三の設計。私の母校桐蔭学園の校舎も彼の設計なので,個人的には愛着があります。また,常夏の国ゆえ,どこへ行っても「オープンカフェ」が多いです。日本だと冬にオープンカフェで食事をする気にはなりませんが,この国では一年中オープンカフェが楽しめます。
以上が第3回です。次回の第4回は,シンガポールの教育・軍事・スポーツなどをお伝えいたします。
2010年07月05日 シンガポール・レポートVol.2
【コラム】
シンガポールで研修中の中山達樹です。シンガポール・レポート第二回は,シンガポールの社会生活についてお届けします。
■政治・社会
一党独裁。実質的に,建国の父リー・クアンユーが作った人民行動党(PAP)という政党一つしかありません。それでも他のアジア諸国と異なり汚職はなく,いわゆる「哲人政治」が行われているかのような国です。「健全な民主政の発展のためには政権交代が必須である」と思いがちですが,ここシンガポールでは政権交代はないものの,民主政は十分に機能しているようです。与党の政治家は,民意を吸い上げるべく,毎週一回,選挙区の市民と会合を開くことを義務づけられています。ただ,選挙の際の投票用紙には,個人を識別する番号が記載されており,理論的には「だれがどの党に投票したか」を調査可能です。ちなみに,現在の首相リー・シェンロンはリー・クアンユーの長男です。
いわゆる先進国ではありますが,日本に比べて国民の自由が制限されている部分もあります。土地は容易に取得できませんし,土地利用に制限があるからか,国中にお墓をほとんど見かけません。遺骨は「田舎にある図書館のようなビルの引き出しに入っている」そうです。小さい国なので,お墓を自由に作ると居住スペースがなくなるからでしょう。仕方ないのかもしれませんが,「家族の墓を自由に作れない」というのは,人間のアイデンティティの根幹に関わるような気がします。これは,「国民の権利を制限して経済発展・国益を優先する」シンガポールを象徴するようなエピソードだと思います。
罰金が厳しいといっても,街中に警官が立っているわけではありませんから,息苦しさは感じません。ただ,刑法には執行猶予がありませんし,今でも鞭打ち刑があります。報道は国により統制されていますし,ガムのみならず,女性の裸が記載されている雑誌の販売は禁止されています。もっとも,私のような善良かつ品行方正な市民は,全く不自由を感じませんが。
この国では「東アジアモデル」という表現をよく使い,これは「自由や民主政の維持・発展は二の次にして,国家が経済発展に向けて強力なイニシアティブをとる」ということを意味します。日本の近代化はまさに「東アジアモデル」の嚆矢とされますが,シンガポールはまさにこの「東アジアモデル」に従っているといえるでしょう。
シンガポールが社会システムの構築を考えるときは,まず旧宗主国イギリスを参考にし,その次に日本を参考にすることが多いそうです。イギリスが「父」で日本が「兄」のような印象です。日本は,それだけ「アジアにおける先達」として慕われています。なお,シンガポールにおいて罰則等が厳しいのは,日本の占領時代に恐怖政治が奏功したこと(リー・クアンユーはこれを身をもって体験しました)をリー・クアンユーが参考にしているからです。
■物価
物価は安いです。タクシー料金は日本の2分の1以下。ただ,狭い国土に多くの人口がひしめいているからか(人口密度は世界第3位),家賃は比較的高いです。酒類は日本と同じくらいか少し高めで,輸入に頼る日本食も日本より高価です。通行量を減らして交通渋滞を発生させないため,車の値段は日本の約3倍もします。
■交通手段
渋滞を発生させないため,交通量の多さに応じて課金されるシステムになっています。国の中心部に日本でいうETCのような機械が設置され,そこを通る車がコンピュータによる自動処理で課金されます。ラッシュ時には値段が高くなります。また,「車両購入権」(COE)を別途買わないとマイカーを所有できません。国民が容易に車を所有できないようにしているのです。そのため,20分以上の渋滞は滅多になく,国の端から端まで,一時間以内でたどり着くことができます。
庶民の交通手段としては,MRT(地下鉄)とバス。MRTは,東西線,南北線ともうひとつ斜めに走る線(現在3つの線があります)の他に,現在4本目の循環線を工事中です。早いときは数分おきに到着し,数十円程度という安さで利用できるので,非常に便利です。バスも国中を碁盤の目のように走っており,だいたい5分から10分おきに到着します。これもやはり数十円という安さなので,多くの市民が利用しています。また,タクシーも初乗りが200円以下で,容易に拾えるため利用しやすいです。流しのタクシーがない場合も,タクシー会社に架電すれば約5分以内にタクシーが到着します。
■食生活
充実しています。チキンライスに代表される中国系ローカル料理,インド料理,マレー料理を初め,日本料理,タイ料理,ベトナム料理… バラエティは日本より富んでいます。ホーカーという屋台村が国中の至るところにあり,ここでは200円くらいで普通の料理が食べられます。南国ゆえ,フルーツが美味しいのも嬉しいです。
シンガポール定番のチリクラブというチリ味の蟹も美味ですが,私のお気に入りは「プラタ」という南インド料理です。これはナンを少し脂っこくした軽食です。この国に来て知りましたが,日本にあるほとんどのインド料理は,「北インド料理」なのだそうです。北インド料理のカレーはペースト状で南ほど辛くなく,南インド料理のカレーは液体状で北より辛い,という違いがあります。あとは,カレー&ココナツ風味の「ラクサ」というマレー系ヌードルも,日本にはない味で美味しいです。これは麺を工夫すれば,日本でも売れると思います。
日本食も至るところにあり,「半径1キロ以内には必ず日本料理屋がある」という印象です。ただ,ラーメン屋は少ないので,シンガポールにいると日本のラーメンが恋しくなります。これは多くの在星日本人が口を揃えて言うことです。
以上が第二回です。第三回は,シングリッシュやシンガポール人の住環境などについて,お届けいたします。
2010年06月22日 シンガポール・レポートVol.1
【コラム】
昨年からシンガポールに留学している弁護士中山達樹です。シンガポール国立大学ロースクール(一年間の法学修士コース)の卒業も決まり,Drew & Napierというシンガポールの法律事務所で勤務を開始して2週間になりました。これから,シンガポール生活や留学事情,そしてシンガポールの法律などをご紹介していきたいと思います。今回は,まずはシンガポールの大まかな紹介と生活事情等についてレポートいたします。
■シンガポールとは?
単なる都市ではなく,国です。他の都市はなく,首都もシンガポール。広さは,東京23区程度という狭さ。ほぼ赤道直下,マレー半島の先端に位置します。人口は500万人弱で,増加中。民族は,中国系が75%,マレー系が15%,インド系が10%弱。公用語は,英語・中国語など。ちなみにシンガポールとは,「獅子の国」という意味です。その由来は諸説あるようです。漢字表記は星港や星国。そのため来星,訪星(シンガポールに来ること),離星(シンガポールを去ること)などの熟語を使うことがあります。
■歴史
近代の目覚めは19世紀初頭にイギリス東インド会社のラッフルズが赴任してから。彼が貿易の要衝という地理的な利点に着目して以来,商業都市として栄えてきました。そのため国中の至るところに「ラッフルズ」の名前を見かけます。例えば,シンガポール・スリングの発祥地として知られるラッフルズ・ホテルなどです。
第二次大戦時には,日本が占領していたことがあります。「マレーの虎」山下奉文大将が英軍パーシバル中将を相手に降伏を迫り,「イエスかノーか」と凄んだという伝説があるのも,この国です。英軍は,約10万人が捕虜になるという歴史的大敗を喫しました。なお,日本の占領時は「昭和の時代に得た南の島」という意味で「昭南島」という名称でした。
その後はマレーシアの一部を経て,1965年に独立・建国。かなり新しいです。中国系が大半を占めるため,マレー系民族を優遇しようとするマレーシアから追い出された形で独立しました。「Kick outされた」という表現をよく使います。建国時に,建国の父リー・クアンユーがテレビの前で涙を流したのは有名です。望んで独立したわけではなかったのです。
リー・クアンユーは建国以来,つい最近まで30年以上も首相の地位にあり,彼の強力なリーダーシップの下,急速に発展しました。彼はまだ存命で,顧問相としてまだ閣内にいますが,多くのシンガポール人は彼を尊敬しています。シンガポール人には,自分たちをKick Outしたマレーシアよりもいい国になったという自負があり,それはリー・クアンユーのお陰だと思っているからです。そんな「リー・クアンユーただ一人によって造られた」かのような印象のあるシンガポールですが,今では一人当たりのGDPは日本を大きく追い抜いています。歴史と伝統のある日本が新興国シンガポールに追い抜かれた,というのは複雑な気持ちがします。そんな裕福な国であるため,街を走っている車もいわゆる高級車だらけです。日本を走っている車よりも高級感があり,なぜかアウディが人気です。
■シンガポールの日本人
在留邦人は2万5千人程度であり,東南アジアではタイに次ぐ2位。日本人は,シンガポール最大級の『外国人』コミュニティを形成しています。そのため街の至るところに日本語表記を見かけます。シンガポール人の大半は,日本及び日本食が大好きです。これは,Japan Hourという日本に関するテレビ番組を放映していることが大きな理由のようです。同番組で北海道をよく特集するからか,特に北海道が人気です。もちろんSushi, Sake, Sashimiは大人気で,Wagyu, Teriyaki, Wasabiも人気です。対日感情は非常によく,同じアジアで先に栄えた国として,日本を「兄貴のように慕っている」という感じがします。「カワイイ」という単語は多くの若者が知っていますし,女性に対しては「日本人に似ている」という表現が褒め言葉になります。ほとんどのシンガポール人は片言の日本語を話します。もっとも,かつて日本の占領下にあったことから,年配の方には日本を憎んでいる人もいると聞いたことがありますが,私は出会ったことがありません。
■治安
治安は良く,夜に女性が一人歩きできます。タクシーも必ずメーターが作動しますので安心です。Fine Countryと言われ,罰金の厳しく,かつ,きれいな国として有名です。ゴミを捨てても,つばを吐いても罰金。トイレの水を流さなくても罰金です。ガムの販売と輸入は違法ですが(そのため建前上は,基本的に国中にガムは存在しないことになっています),これも噛んだガムを捨てると街が汚れるからでしょう。ちなみに,面白い法律としては,地下鉄にドリアンを持ちこむことは禁止されています。これはドリアンの強烈な匂いが蔓延することを防ぐためです。
もっとも,治安が良いと言っても,日本ほどではないと感じることがあります。自転車は,強固な鍵を固定物に取り付けないとすぐに盗まれます。鍵を切られて盗まれることも多いです。世界中で,「固定物にくくり付けて駐車しなくても自転車が盗まれることが少ない」のは日本くらいではないでしょうか?「移民が多いと治安は乱れる」と言いますが,移民の少ない日本と移民の多いシンガポールを比較して,なるほどと思います。
以上が簡単ですが,シンガポールの大まかな紹介です。次回は,シンガポールの文化や食生活について,ご報告いたします。